門前の小僧、『維摩経』を読む  維摩會(春秋館)で参禅ライフ30

仏と菩薩と聖声聞と独覚との過去現在未来のすべてに礼拝し奉ります。

それでは、第三章の「弟子品」を、ご一緒に読んでいきましょう。

 

釈尊から病気になった維摩居士のところへお見舞いに

行くように頼まれた迦葉尊者の回想が続きます。

 

「迦葉よ、若し能く八邪を捨てずして八解脱(はちげだつ)に入り、

邪相を以て正法に入り、一食を以て一切に施し、諸仏及び衆の賢聖供養し、

然(しか)る後に食すべし。

是(かく)の如くにして食する者は、煩悩有るに非(あら)ず、

煩悩を離るるに非ず、定意に入るに非ず、定意を起つに非ず、

世間に住するに非ず、涅槃に住するに非ず。

其の施有る者も大福無く、小福無く、益ともなさず、損ともなさず。

是を、正に仏道に入りて聲聞に依らずと為す。迦葉よ、若しかくの如く

食せば、空しく人の施(せ)を食せずとなす」と。

時に我、世尊、是の語を説くを聞いて未曾有(みぞう)を得、

即ち一切の菩薩に於て深く敬心(きょうしん)を起しき。

復(また)是の念を作(な)さく、「これ、家名有りて、弁才・智慧乃ち

能くかくの如し。

其れ、誰か此を聞きて、阿耨多羅三藐三菩提心を発さざらんや」と。

我是(それ)より来(このかた)、復(また)人に勤むるに声聞・辟支仏行を

以てせざるなり。

この故に、彼に詣(いた)って疾を問うに仕(た)えず』と。

 

「八邪」とは、八正道の反対である八つの誤り(邪見・邪思惟・

邪語・邪業・邪命・邪方便・邪念・邪定)のことです。

八正道とは、仏教の修行の基本となる八つの実践徳目をいいます。

それは、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定を

いいます。

迦葉尊者も維摩居士のところへお見舞いに行くことをためらい、

断ってしまいました。

 

インドで見た夕陽(筆者撮影)