門前の小僧、『維摩経』を読む  維摩會(春秋館)で参禅ライフ26

仏と菩薩と聖声聞と独覚との過去現在未来のすべてに礼拝し奉ります。

それでは、第二章の「方便品」を、ご一緒に読んでいきましょう。

今回で、第二章の「方便品」の最後になります。

 

維摩居士の説法の続きです。

「かくの如きの無量清浄の法より如来の身を生す。

 諸の仁者(ひとびと)よ、仏身を得て一切衆生の病を

 断ぜんと欲せば、まさに阿耨多羅三藐三菩提心

 発すべし」と。

 かくの如く、長者維摩詰は、諸の疾を問う者の為に、

 応(かた)の如く法を説きて、無数千人をして皆

 阿耨多羅三藐三菩提心を発さしめき。

 

 

阿耨多羅三藐三菩提とは、サンスクリット語

anuttara-samyak-sambodhi(アヌッタラー・

サムヤク・サンボーディ)を音写したものです。

アヌッタラー(無上の)・サムヤク(正しい、完全な)・

サンボーディ(悟り)…がそれぞれの意味で、

無上正等覚などと訳されます。

このうえなく完全なる悟りの智慧…といった意味になります。

第二章「方便品」のクライマックスで、

維摩居士は「悟りに向かって発心するように!」と

おっしゃったのです。

煩悩に覆われた曇り空であっても、その奥には

光り輝く太陽(仏性)が、必ずあります。

その太陽を求めて、私は維摩會で勤行し続けます。

霊鷲山で見た太陽(筆者撮影)