門前の小僧、『維摩経』を読む  維摩会(春秋館)で参禅ライフ18

仏と菩薩と聖声聞と独覚との過去現在未来のすべてに礼拝し奉ります。

それでは、一章の「仏国品」の続きを、ご一緒に読んでいきましょう。

 

舎利弗よ、衆生の罪の故に如来の仏土の厳浄なるを見ざるまでにて、如来の咎には非ざるなり。舎利弗よ、衆生の罪の故に如来の仏土の厳浄なるを見ざるまでにて、如来の咎には非ざるなり。舎利弗よ、我がこの土は浄けれども、而も汝は見ざるなり」と。

爾の時、螺けい梵王、舎利弟に語るらく、「この意を作して、此の仏土をおもうて似て不浄たりと為すことなかれ。所以何となれば、我れ釈迦牟尼仏の土の清浄なるを見ること、たとえば自在天宮の如し」と。

舎利弗言く、「我れ此の土を見るに、丘陵・坑坎・いばら・小石・土石・諸山・あくたも満たされたり」と。

螺けい梵言く、「仁者心に高下有りて仏の慧に依らざるが故に、此の土を見て不浄たりと為すのみ。舎利弗、菩薩は一切衆生に於て悉くみな平等にして、深心清浄なり。仏の智慧に依れば、則ち能く此の仏土の清浄なるを見るべし」と。

ここに於て仏、足の指を以て地をおしたもうに、即時に三千大千世界、若干百千の珍宝をもて飾らるること、たとえば宝荘厳仏の無量功徳宝荘厳土の如し。

 

「三千大千世界」とは、仏教の世界観による広大無辺の世界を指します。

須弥山を中心に日・月・四大州・六欲天梵天などを含む世界を「一世界」とし、

これが千集まったものを「小千世界」といいます。

「小千世界」が千集まったものを「中千世界」といいます。

「中千世界」が千集まったものを「大千世界」といい、

これらを総括した世界を「三千大千世界」といいます。

(参考資料:小学館デジタル大辞泉

スジャータ村(セーナ村)のストゥーパ(筆者撮影)